高知地方裁判所 昭和47年(行ク)2号 決定 1972年6月13日
申立人 山田功
被申立人 高知県立伊野商業高等学校長
主文
本件申立を却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
理由
一、本件申立の趣旨およびその理由
別紙(一)、(二)に記載のとおりである。
二、被申立人の意見
別紙(三)、(四)に記載のとおりである。
三、当裁判所の判断
(一)、申立人が昭和四五年四月高知県立伊野商業高等学校に入学し、昭和四六年四月第二学年に進級し同校に在学していたものであること、被申立人は申立人に対し、昭和四七年三月二五日、申立人が学校教育法施行規則第一三条第三項各号に該当するとして、学校教育法第一一条、同法施行規則第一三条に基づき退学処分に付したことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、申立人が右退学処分を不服として昭和四七年四月四日高知地方裁判所に本案訴訟である退学処分取消請求訴訟(同裁判所同年(行ウ)第三号事件)を提起し、同事件が現に係属していることは、当裁判所に顕著な事実である。
(二)、そこで、申立人につき行政事件訴訟法第二五条第二項にいう「回復の困難な損害」があるか否かについて検討を加える。ところで、元来、本件の如き高等学校生徒の退学処分は、生徒を在学関係から排除することによつて行政目的を実現する処分であるから、退学処分を受けた生徒が他の生徒と同様受講や学校の施設の利用ができず、そのため学校の勉強に後れを来すなどのことは、それ自体処分の内容そのものであつて、それだけでは右にいう回復の困難な損害に当るということはできないのであつて、右の結果として、本案勝訴判決を得た場合在学関係を回復することが生徒にとつて無意味となり、又は実質的に困難になるような結果を生ずるごとき事情が存在するときに、まさに右にいう回復の困難な損害を生ずる場合に当ると解すべきである。これを本件についてみると、申立人にとつて右の意味における回復の困難になるような事由が存在することについては、申立人の疎明が十分でない、というべきである。
よつて本件申立は、その余の点について判断するまでもなく理由のないことが明らかであるから、失当としてこれを却下することとし、申立費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 安藝保壽 上野利隆 林豊)
別紙(一)
申立の趣旨
一、被申立人が申立人に対してなした昭和四七年三月二五日付退学処分の効力は、高知地方裁判所昭和四七年(行ウ)第三号退学処分取消請求事件の判決が確定するに至るまでこれを停止する。
二、申立費用は被申立人の負担とする。
との裁判を求める。
申立の理由
一、申立人は、昭和四五年四月、高知県立伊野商業高等学校に入学し、同四六年四月、二学年に進級した者である。
二、申立人は、昭和四七年三月二五日、被申立人から退学処分の通知を受けた。右退学処分の理由は、申立人の具体的行為を示さず学校教育法施行規則第一三条第三項に該当するというものである。
三、しかしながら、右退学処分は違法である。
(一)、申立人は、今日に至るまで、刑事処分、懲戒処分を受けた前歴がなく、性行不良と非難された事実はない。
(二)、申立人は、昭和四二年三月二五日、吾川村立名野川小学校を卒業したが、卒業時の成績は、八科目中三科目が四(よい)であり、五科目が三(普通)であり、同四五年三月、組合立仁淀中学校を卒業し、当時の成績は、九科目中三科目が四、五科目が三、一科目が二(ややおとる)(保健体育)で、いずれも、普通以上の成績であつた。
高知県立伊野商業高等学校一学年の学年評定は、一〇科目中三科目が三、六科目が二、一科目が一(おくれている)という成績で、二学年の学年評定は、一四科目中二科目が二、一二科目が一であつた。
右の成績のうち、高校二学年の学年評定において、申立人は必要出席時数が不足していることを知り、すでに進級の可能性がなかつたので、学期末試験を留年の意思で受験せず、無試験で評価されたものであるから、申立人の本来の成績と評価すべきでなく、むしろ小・中学校時代の成績が普通以上であることを考慮すると、本人の努力により、高校の課程は容易に履修出来ると判断され、申立人は、学力劣等で成業の見込みがないといえない。
(三)、申立人は、小学校六年生、中学三年生、高校一年生における出席は良好であるが、高校二年生の授業日数二二三日中欠席三九日、欠課二八四時間で、八科目の進級のための出席日数が不足する。
しかし、申立人は、昭和四七年一月、体育において、進級に必要な出席時数が不足し、留年を決意し、その旨ホーム主任に伝えており、その後欠課したもので、申立人の出席数の状況のみで申立人の出席が常でないものということはできない。
(四)、申立人は、校則に反する行為として、ビラ配布等を行つたが、学校の授業に影響を及ぼす校則違反行為はなく、従つて、学校の秩序を著しく乱した事実はない。また学校の内外を問わず、学生の本分に反する行為はない。
四、申立人は、前述のとおり、学校教育法施行規則第一三条第三項各号に該当する行為がなく、被申立人の退学処分は違法であるからその取消しを求めるが、仮に、同法施行規則第一三条第三項各号に該当する行為があつたとしても、憲法が国民に教育を受ける権利を保障していること、殆どの国民が高校に進学するので高校教育の義務教育化の傾向にあること、義務教育には退学の制度のないこと等を考慮し、退学が教育を受ける権利を剥奪するものであるから、同号の要件は著しく厳密に解すべきもので、申立人の行為は、絶対にその程度に達せず、従つて、被申立人の本件処分は、社会的に著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を著しく越えた違法な処分であるから、右退学処分の取り消しの訴を提起した。
五、各学年の授業は、段階を追つて進行するので、学年途中で授業を受け始めても理解が困難となることは、公知の事業である。昭和四七年度の新学期は、四月八日から始まり、申立人が、退学処分により登校出来ず、授業が受けられず、学年途中で勝訴判決を受け登校し授業を受けても、その内容の理解が著しく困難であるから、回復困難な損害を避けるため、右退学処分取り消しの判決確定に至るまで右処分の効力の停止を求めるため、申立に及んだ。
別紙(二)
一、被申立人の意見書には次の如き事実誤認がある。
(一)、昭和四五年四月二二日、同月二八日、同年六月二三日のビラ配布は、申立外岡崎功がしたもので、申立人は参加していない。
申立外岡崎功は、右ビラの配布を校門外の道路で配布したもので、校門外のビラの配布は校則の適用がなく、その違反とならない。
右行為は、憲法の認める表現の自由である。
(二)、申立外岡崎功、申立人は「狭山事件裁判」の討論会、映画の開催ビラを街頭で貼付した。
しかし、貼付は、各人に地区割とし、申立外岡崎功および申立人は、伊野町、朝倉を担当したが、一般市民に迷惑のかからない場所、方法で実施した。
学校に抗議のあつたビラの貼付の場所は、高知市内で、右両名以外の者が貼付したものであつて、右両名の責任はない。
(三)、申立外岡崎功は、昭和四七年一月二三日午後一時ごろ、申立外伊野部純一の掲示行為を妨害した事実はない。申立外岡崎功らは、右申立外伊野部純一に対し、質問したにすぎず、同人が掲示をセロテープでコンクリートに貼付しようとしたが、セロテープの性能上貼付できず、方法をかえるため帰つたにすぎない。
(四)、申立外岡崎功は、昭和四七年二月二九日一二時三〇分ごろ、教頭を恫喝した事実はない。
申立外岡崎功は、教頭に「今まで卒業式後で先生の内で殴られた者がありませんか。」と質問した事実はあるが、更に「学校とのいざこざで頭に来てそのようなことをしてもしようがないから、我々は、自主卒業式をやりたい。」と述べたもので、対話はその一部をみるだけでなく、全体で判断すべきである。
(五)、昭和四七年三月一日朝、申立外岡崎功は、校門付近でビラを配布した事実はない。
(六)、昭和四七年三月三日、申立外岡崎功および申立人は、ビラの配布をしなかつた。
(七)、申立外伊東晴男は、教頭から、西倉庫を机の置場がないというのみで全部置場がみつかれば、倉庫全部を貸す旨の許可を受けたものである。
(八)、西倉庫入口には施錠されていなかつた。
スイツチは、以前から壊されており、ぬいぐるみは、以前から焼けこげており、西倉庫で焼いたものでない。
(九)、西倉庫にした施錠を壊したうち、申立外岡崎功と申立人は共同で一回取除いたのみで、その他の取除きは知らない。
(一〇)、申立外岡崎功の公務執行妨害罪は、昭和四七年四月八日高知家庭裁判所において非行なしと認定された。
(一一)、被申立人の右事実の誤認は、処分を急ぐあまり調査を充分せず、特に、申立人についての調査を怠り、かつ、申立人の弁明を聞かず、適法手続を怠つた結果である。
別紙(三)
意見書
第一、申立の趣旨に対する答弁
本件申立を却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
との裁判を求める。
第二、申立の理由に対する答弁
一、申立の理由第一項は、認める。
二、同第二項は認める。ただし、申立人の具体的行為を示さずとの主張は、争う。
三、同第三項の退学処分は違法であるとの主張は、争う。
(一)、同項(一)は知らない。
(二)、同項(二)のうち、申立人が、その主張の各小・中学校を卒業したこと、申立人の小・中学校における最終学年第三学期の成績および高校の一学年および二学年の評定がその主張のとおりであること、申立人の高校二学年の学年評定において、必要出席数が不足して進級の可能性がなかつたこと、および、申立人は、学期末試験を受験しなかつたため無試験で評価されたことは認めるが、学期末試験を受験しなかつた理由は知らない。その余の主張は争う。
(三)、同項(三)のうち、申立人の小学校六年生の出席すべき日数二四〇日・欠席二日・早退一回、中学校三年生の出席すべき日数二三三日・遅刻四回、高校一年生の出席すべき日数二二五日・欠席一日・遅刻一六回・早退一回・欠課時数七時限・教科遅刻早退度数一七回であること、高校二年生の出席すべき日数二二三日・欠席三九日・遅刻六三回・早退一一回・欠課時数二八四時限・教科遅刻早退度数一五回であり八科目の進級のための出席時数が不足したこと、および、申立人が、昭和四七年一月、体育において進級に必要な出席時数が不足したことは認めるが、その余は争う。
殊に申立人は、留年の決意をホーム主任に伝えた旨主張しているが、後に述べるように学校よりの再三の勧告にも応ぜず、昭和四七年一月、結局進級必要出席時数不足の事実を申立人において自認するの余儀なきに至つたにすぎず、留年等の意思表示があつたというようなものではない。
(四)、同項(四)のうち、申立人が校則に反する行為としてビラ配布等を行なつたことは認めるが、その余の主張は争う。
四、同第四項のうち、憲法が国民に教育を受ける権利を保障していること、および、義務教育課程には退学の制度のないことは認めるが、その余の主張は争う。
五、同第五項のうち、各学年の授業は段階を追つて進行すること、学年途中で授業を受け始めても理解が困難なこと、および、申立人が退学処分により登校できず、授業が受けられないことは、認めるが、その余の主張は争う。
第三、被申立人の主張
一、はじめに
高知県立伊野商業高等学校(以下「本件高校」という。)は、昭和三八年一月一日、産業人としての高い理想とすぐれた知識技能を持ち、社会に貢献する有能な人物を育成することを目的として設置され、同年四月、開校された高等学校で、当時としては全生徒数八〇〇名を有する高知県における唯一、独立の県立商業高等学校であつた。
申立人は、昭和四五年四月に本件高校に入学し、昭和四七年三月まで在学したが、その間、申立人には、学校教育法第一一条、同法施行規則第一三条第三項各号に定める事由に該当する後に述べるような事柄が存在したため、右同規則第一三条第二項に基づき、懲戒処分権者である被申立人は、昭和四七年三月二五日、申立人を退学処分に付したものである。
二、本件退学処分は適法かつ妥当である。
(一)、申立人は、中学校の成績は、その出席状況からみてむしろ良い方であつて、その威力により高校の課程は容易に履修できる能力もその意思も存在するのであるから、学力劣等で成業の見込みがないとはいえない旨主張される。
(1)、本件高校教務内容によると、学業成績の評価は「平常成績」に「定期考査成績」を加えたもので総合評定することとしており、その評価は、学期末、学年末に各教科毎に五段階評定で表わし、各教科科目の目標をほぼ達成しているものを三点、特に不充分なものを一点、その中間のものを二点として表示するもので、一点の教科は、その教科割当単位数の全てを不合格とし、かつ、その不合格単位数が一ケ年一二単位以上のときは原級留置(落第)されることとなつている。
(2)、ところで、申立人は、昭和四五年四月、本件高校第一学年に入学したものであるが、同学年における学年末成績は、一教科(計算実務)について一点二単位の不合格を出すにとどまり、辛うじて昭和四六年度第二学年に進級したものである。
しかしながら、第二学年には、第一学期に八教科(商品、会計、計算実務のほか一般科目五教科)について一点、合計一八単位、第二学期に七教科(商品、会計、計算実務、文書実務のほか一般科目三教科)について一点、合計一九単位、学年末に一二教科(商事、商品、会計、計算実務、文書実務のほか一般科目七教科)について一点、合計三〇単位(第一、二学年累計において一三教科三二単位)の不合格に終つたため、原級留置とならざるをえない結果を招来するに至つた。
(3)、これらのことを外形的にのみ検討してみても、商業専門教科において共通した不合格教科の顕著に存在すること、および、昭和四四年度以降昭和四六年度における他の一、二学年生徒の退学者の不合格教科・単位数が一学年において、二教科八単位から一〇教科三三単位、第二学年において二教科三単位から九教科一九単位(第一、二学年累計において五教科一三単位から一〇教科二一単位)の各範囲内で発生しており、しかも、申立人の第二学年末の不合格教科・単位は、他の退学者のそれと比較して、同学年、および、第一、二学年累計のいずれにおいても、極めて劣等な段階に接着したところにあることが窺われ、しかも、入学以来二年間の評価としては、いずれの年においても不合格教科の存在しなかつた年はなく(これをもつて果して教科履修の努力をする意思があるといえようか。)殊に第二学年中間、学期末の試験科目合計三七のうち、申立人の受験しなかつたのは四科目にすぎないことなどからみると、これらのことは、申立人の学力が如何に劣等であるかを物語る証左以外の何物でもないといわざるをえないのみか、その原因が単に申立人の学力劣等だけではなく、後に述べるように、正常な理由なくして出席が常でないこととの相関関係において生じているものであることに思いをいたすとき、もはや、申立人は、本件高校においては、学力劣等で成業の見込みがないと認められる者に該当するものといわざるをえない(申立人は、中学校の成績は、ほぼ普通であつたとも主張するが、県下一区制の本件高校に入学するものによつて、地域差の激しい中学校の実情に鑑みるとき、そのことをもつて理由とはなしえない。)。
この点に関する申立人の主張は、その自体失当といわざるをえない。
(二)、申立人は、また、申立人の努力意思を考慮せず出席日数、欠課時間のみから申立人の出席が常でないとはいえない旨主張される。
ところで、本件高校教務内規は、今一つの教科単位不合格の事由として「出席時数が実授業時数の三分の二未満のもの」をその事由とし、これについては、すでに述べた教科成績評定が一点であつた場合と同様の措置をとることとしている。
そして、申立人は、昭和四五年度第一学年については、出席すべき日数二二五日に対して、欠席一日、遅刻一六回、早退一回、欠課時数七時限、教科遅刻早退度数一七回、昭和四六年度第二学年については、出席すべき日数二二三日に対して、欠席三九日、遅刻六三回、早退一一回、欠課時数二八四時限、教科遅刻早退度数一五回となつており、入学以来の僅か二年間に極度に累進的にほとんどの項目において出席率は悪化の一途を嫌つており(殊に実授業時数に対する欠課時数の累積的増加に留意されたい。)、加うるに「出席時数が実授業時数の三分の二未満」の教科が昭和四五年度の第一学年においては存在しなかつたのに、同四六年度第二学年においては、一四教科三三単位のうち第二学期については、四教科一〇単位、学年末で八教科一九単位と半数前後の教科単位において存在してきている現象とこれらについての担任教師の再三再四にわたる勧告にもかかわらず、これに対する何ら正当、かつ、誠意ある理由の申出もなかつたこと、および、このような悪化の一途を嫌つたのは、後に述べるような校則違反行為等累積的に本件高校の秩序を乱し、同校生徒としての本分に反する行為に出た結果にほかならないのであるから、申立人は、その主張のように単に出席数、欠課時数のみならず、その原因における不合理性を併せて考察したとき極めて顕著にかつ自然に正当な理由がなくて出席常でない者に該当するとの結論に到達せざるをえないというべきである。
(三)、申立人は、さらに、申立人としては校則違反行為等学校の秩序を著しく乱した事実や学校の内外を問わず生徒の本分に反する行為はなく、ビラ配布等の行為も学校の授業に影響を及ぼすような重大なものではなかつた旨主張する。
(1)、しかしながら、本件高校生徒の発行するビラ・ポスター類は全て学校の許可を得て配布・貼付することとなつていたのであるが、申立人は、申立外岡崎功らとともに次のとおり無許可のビラ配布・貼付行為をした。
<1> 昭和四五年四月二二日、始業前校門付近で(4・28沖繩デー全国高校ゼネストを決起せよ―」と題するビラ
<2> 同年四月二八日、始業前校門付近で「戦争を許すのか否か」と題するビラ
<3> 同年六月二三日、始業前校門付近で「立ち上れ安保闘斗に」と題するビラ
これら<1>乃至<3>のビラは、いずれも、申立外岡崎功が配布していたもので、その都度ホーム主任を通じて指導してきたが、申立外岡崎功は、全くこれに応ぜず、強行したものである。
<4> 申立人、および、申立外岡崎功の所属する「解放研」から開催日を昭和四七年一月二二日と定めて「狭山事件裁判」に関する討論会、および、映画会を開催すべき旨の申出があり、被申立人も昭和四七年一月二〇日の職員会議において学校における同和教育の一環として本件高校生徒のみを対象とすることを条件とすることで許可したところ、これより先、一月一九日から二一日までの間に、校外一般の参加を呼びかけるビラを高知市および伊野町の街頭において配布し、かつ、電柱、立看板等辺りかまわず貼付したため、立看板等の所有者から本件高校に対し、再度にわたり「営業妨害であるから告訴する。直ちに取除け。」との強い抗議や「この様なやり方は部落問題に対する理解に逆効果だ。」との指摘を受けるに至り、本校教員数名をもつてそれらのビラを夜間に剥ぎ取つて廻らざるを余議なくさせたのである。
<5> 昭和四七年一月二二日午後一時頃、二〇日の職員会議の決定に基づき「討議会および映画会は本件高校の生徒を対象として開催されるものであり、外部の者は遠慮願いたい。」旨の掲示を校内にすることとし、命をうけてこれを実施せんとした申立外伊野部教諭に対し、申立外岡崎功らが、これを妨害し、その説得にも応じようとしなかつた。
<6> そして、昭和四七年一月二四日、本件高校会議室において、校長立会のもとに、教頭が、申立人、および、申立外岡崎功に対し、また翌日には、校長が、全教員を通じて、全校生徒に対し、それぞれ無許可のビラの配布を禁ずるとともに、配布済のものについては、その回収をするよう指導したところが、その翌日からも依然として種々のビラが度々配布され、これがため一般生徒に反感の念を抱かせるに至り、更に二月二四日朝には「春闘もやれない卒業生へ」と題するビラおよび同年二月二八日終礼ホーム時には「春闘もやれない卒業生へ(二段書き)と題するビラが自主卒業式行動委員会(準)の名義を用いて配布され続けた。
<7> 昭和四七年二月二九日一二時三〇分ごろ「卒業式予行練習など何故するの―」と題するビラ(自主卒業式行動委員会名義)が解放研の部室前で配られていたため、被申立人においてこれを中止させるべく指導を行なつたところ、申立人および申立外岡崎功ら数名の生徒が在室し、室内に存置してあつた印刷機の上に右ビラの束が積んであつたため、同人らに対し「自主卒業式行動委員会は、いつ、だれの許可で結成したのか。メンバーは。」と質問するも答えず、更に「諸君が行動委員会のメンバーと考えてよいか。」との質問に対しても、これまた黙否し、却つて、申立外岡崎功から「予行は何故しますか。」「卒業式は形式で無意味じやないですか。」などの質問を行ない、被申立人において卒業式の意義やあり方について詳細に説明するも納得しようとしないため、更に「それでは君たちのいう自主卒業式とはどういうようにするのか。」と質問するも、これに対してもただひたすらに沈黙を守るという状態であつた。
そこで、更に、申立人、および、申立外岡崎功らに対し「ビラの配布は校長も許可していない。今後絶対にしないように。」と指導したところ、今度は「表現の自由がある。」と述べたため、続いて「君達は、学校という団体社会の一員である以上団体の秩序に服すべき制約を受けることはやむをえないことであり、また学校という組織の一員である生徒となるのは、高等学校では、本人の自発的意思によるものであるから、この点からも学校からの指導上の制約をうけることは止むを得ないことではないか。」と説明するも耳をかそうとしなかつたものである。
また、申立外岡崎功は、その場において「今迄卒業式の後で先生の内で殴られた者がありませんか」などと全く場違いの発言をなし、暗にその場にいた教頭らを恫喝するような態度にさえでたのである。
殊に、被申立人は、その場において、卒業式については、申立外岡崎功が、生徒会長当時に、被申立人と生徒会側において、共に、実行委員会を構成し、全生徒の意見をとり入れて実施したのと同様の卒業式を行なつて現在に至つているものであり、是正の必要があるならば正当なルールにもとづいて生徒会を通じてやるべきであつて、単に個人的見解にもとづく任意の行動委員会方式をとることは却つて不自然である旨を告げて説得したのであるが、申立人、および、申立外岡崎功らは、これには一顧だにせず、その日に行なわれた卒業式の予行にも、校内に居ながら、遂に出席さえしなかつたのである。
<8> 昭和四六年度本件高校卒業式は、昭和四七年三月一日に行なわれたのであるが、申立人、および、申立外岡崎功らは、これに参加するため登校してくる父兄、生徒に対し、校門付近で「自主送辞・自主答辞」および「卒業式つて何するの!?」と題する二枚のビラを配布する仕末であつたため、申立外横田教諭らが現場に行き中止を求めたが、制止をきかず、ビラの配布を強行したため、卒業式後の卒業式を祝う会の席上において、多数の父兄からひんしゆくと非難の声が本件高校に対して浴せられる仕末であつた。
<9> 昭和四七年三月三日の放課ホーム終了前各教室に「偽善卒業式……」と題するビラ(自主卒業式行動委員会名義)が多数配布されていた。
(2)、また申立人らは、数名の生徒とともに、昭和四六年一二月一八日正午過ぎ、被申立人に対し「部落解放研究会(解放研)」の合宿を一二月一八日から二〇日の朝までの間高知市朝倉の海老川福祉館で行ないたいとして、その許可の申し入れをしたのであるが、被申立人としては、
<1> 学校の方針として、クラブの合宿は認めていないし、他のクラブにも許可したことがないこと。
<2> 男女の生徒が一緒に合宿するのは好ましくないこと。
<3> 突然に言われても、学期末の成績処理等に忙しい時期でもあり、顧問の先生が誰も常時付添うことができないこと。
を理由として許可しなかつたところ、申立人らは、これを無視して強行したため、申立人らにその旨釈明を求めたが、拒否して答えず、学校の指導自体を無意味ならしめたものである。
(3)、教育課程の中の特別教育活動として部落問題研究会が昭和四六年二月一二日に発足していたところ、同年一〇月下旬頃より、部落問題研究会に入会していた一部の生徒が脱退しはじめた後である一一月上旬頃から申立人、および、申立外岡崎功らは、研究会の名称を全く許可もなく闘争を主とするとして「部落解放研究会」と称しはじめていた。
<1> そして、昭和四七年一月一四日の昼休みに申立人、および、申立外岡崎功らが、同会の資料置場として、本件高校西倉庫の一部使用方の許可を求めてきたため、北校舎西倉庫の一部を「資料置場」として使用することを条件に許可したところ、同月一七日に至つて、申立人らが「一部使用」の許可であるのにかかわらず、同倉庫に保管中の机および椅子の全部(約六〇脚)を無断で南校舎電気室に搬入したため、電気室が机、椅子で塞がれてしまい、その出入りが困難になつていることが明らかになつた。
<2> また、昭和四七年一月一八日午後二時過ぎには授業中であるのにかかわらず、生徒が常に同倉庫内に残留しており、内部には、茶椀、茶びん(食堂のもの)等が無断で持ち込まれ、更には、ギターの音さえ聞えることもしばしばあることも明らかとなつた。
そこで、直ちにその実情を調査したところ、申立人、および、申立外岡崎功らが残留していたため、同人らに対し、資料置場としての一部使用の許可であり、このような形での全面使用は困る旨告げて指導したが、聞き入れようとしなかつたのである。
<3> しかも、倉庫出入口に被申立人が施錠した錠前は除去され、被申立人の全く関知しないダイヤル式の錠前が取り付けられていたため、火災、水害等非常災害の際支障をきたすので、被申立人が準備したものを使用するか、あるいはダイヤルの番号を被申立人に連絡するよう申し渡したが、そのいずれにも従おうとせず、以来、同倉庫に対する学校の管理の実体は存在しないに等しい状態となり、かかる占拠の状態が継続されようとした。
なお、その際に、申立人は、上下共私服でいたので、服装をたしなめたところ「授業に出んのでよいのだから」と述べて指導を受けつけず、制服論争をする仕末で、これに呼応して申立外岡崎功は口をはさみ「制服無用論、天皇制、軍国主義復活反対」などとまくしたてる状態であつた。
<4> 昭和四七年一月一九日夜、解放研使用の倉庫にコーヒーや湯わかしを特ち込んでいることが判明したため除去を求めたが、翌二〇日昼休み時には、同倉庫において、早朝より電気ストーブを使用しており、前日発見されていたコーヒー、湯わかし等もそのままであつた。そのため被申立人において火器の使用についてこれを禁ずる旨の指導をしたが、申立人らは、これに従わず、数回にわたりヒユーズがとび、隣りの一の一ホーム等の授業に支障をきたしたほか、校舎の商品実験室敷設の黒カーテンを無断で持ち込み、同倉庫の窓に取りつけていたので、叱責のうえ取戻してきたという一幕もあつた。
<5> これらの度重なる指導無視の行為は、もはや、放置しがたい状態であつたので、被申立人としては、昭和四七年三月七日一一時前、東の二階渡り廊下において、申立外岡崎功に対して、西倉庫の使用許可の取消しを通知し、最大限二日以内に同倉庫のとりかたづけを指示すると共に、許可の取消し理由として、(イ)使用目的に反する使用であること。(ロ)鍵の番号を教えないため、管理上支障のあること。(イ)倉庫の使用時間を守らず、授業中も残留していること。(ニ)学校が配布を認めないビラの印刷等目的外に使用していること等を告げたが、申立外岡崎功らは、取り合おうとせず、指導を全く受けつけなかつた。
<6> 昭和四七年三月八日、申立人、および、申立外岡崎功らに対し、明日午後五時までにこの部屋のすべての物を持つて退去すべきこと、および、借用物はすべて返還すべきことを告げ、その際の理由として火器を使用し、商品実験室のカーテンを無断使用していることをも付け加えたが、申立人らは、言を左右にし、最後には「私達は聞かないことにします。」と述べて、不利となれば黙し、嘘を言つて逃れようとする態度で、全く指導を受け入れる態度を示さなかつた。
<7> 更には、昭和四七年三月一〇日午後五時一〇分にも、右倉庫において、申立人らに対し、退去を命じたが、同人らは、あくまでも許可の取消しの理由に納得できない旨の発言を繰り返し、退去しない仕末であつたが、午後六時過ぎになり、同人らが下校したので、被申立人は、遂に、意を決し、取りあえず、同倉庫に学校側の鍵を取り付け「使用禁止、学校長」の貼紙をし、一旦は、学校の管理に復したが、その後も、三月二四日までは申立人らにおいて、更に、鍵を取り替え、貼紙を除去し、これを学校において旧に復する等際限のない行為がつづき、昭和四七年三月二五日の本件退学処分当日を迎えたのである。
(4)、右(1)乃至(3)で述べた申立人の所為と、その経歴に鑑みるとき、そこに存在するのは、学校の秩序無視と生徒としての本分にもとるもの以外の何物でもないというも、もはや、過言ではない。
そしてこれらの所為の累積ともいうべき一連の現象をもつて申立人をして性行不良で改善の見込みは全くないものと断定する何よりの証左であるとするも、これをもつて申立人に対し、酷を強いることになるなどとはいいうべくもないことであろう。
(四)、また、申立人は、被申立人が申立人についての調査、意思を聞くこともなくしてした本件退学処分は違法であるとも主張されるようであるが、退学処分は、刑罰ではないから、憲法第三一条の適用はありうる筈はないし、本件の場合、申立人らの弁明、防御権を制限するような仕方で抜き打ち的に処分をしたものではなく、学年末という極めて予想しうる自然な時期に行なつたものであるのみならず、右(三)の各行為については、その都度実情を調査したうえ、その理由について質問指導をしたのにもかかわらず、申立人は、それらに対する弁明をその都度拒否してきたものである。被申立人としては、本件退学処分に至るまで、相当の配慮を怠らなかつたところである。
従つて、本件退学処分には、これを違法として取り消されるべき何らの手続上の瑕疵も存在しない。
(五)、申立人は、また、本件退学処分が社会的妥当性を欠き、裁量権の範囲を逸脱した違法がある旨主張される。
しかしながら、本来、本件高校を含めて、公立高校の生徒に対する懲戒処分は、教育施設としての高校の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律的作用である。そして、懲戒処分権者である校長が生徒の行為に対し懲戒処分を発動するに当り、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、懲戒処分のうちいずれを選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格、および、平素の行状、右行為の他の生徒に与える影響、懲戒処分の本人、および、他の生徒に及ぼす訓戒的効果の諸般の要素を考量する必要があり、これらの点の判断は校内の事情に通ぎようし直接教育の衝に当るものの裁量に任するのでなければ適切な結果を期することができないことは明らかというべきである。
従つて、生徒の行為に対し、懲戒処分を発動するかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を採択するかを決定することは、原則として懲戒権者たる校長の裁量に任されているものと解するのを相当とすべきである。
ところで、被申立人は、右のような趣旨によつて付与された懲戒処分権にもとづき、本件懲戒処分を行なつたものであるが、すでに右(一)乃至(三)に縷述したとおり、申立人には学校教育法施行規則第一三条第三項各号に定める事由の存在することは極めて明白というべきであり、かつ、それにつき度重なる指導に対しても、全くその非を自覚せず、反省の態度を示さなかつたので、それら行為の累積性からみて、被申立人は、申立人に対する限り学校教育の限界を越え、これ以上指導の余地がないと認め、成績判定会議においても重要指定事項として充分の検討がなされたうえ、三分の二以上の賛成による退学処分に付すべき旨の決議にもとづいて行なつたもので、極めて慎重な配慮のうえになされたものであつて、本件退学処分は、決して明白な事実誤認とか、社会観念上著しく妥当性を欠くなどの誹りを受くべき筋合いのものではなく、裁量権の範囲に属する適法なものというほかはない。
申立人は、本件退学処分によつて教育を受ける権利を剥奪されたとも主張するようであるが、教育を受ける権利は、それが全く無制限なものではなく、常に、それは、特定の学校の教育理想・目標との関連において具体的に考察されるべきものであり、その面からの制約を被ることのありうることは蓋し当然のことというべきである。
申立人に存するすでに述べたような事情からすれば、申立人は、学校の教育指導を拒否し、いわば自ら本件高校における教育を受ける権利を放棄したものといわざるをえないのみか、本件退学処分によつて本件高校における生徒としての地位は失うとしても高等学校教育を受ける機会をすべて失うものではないのであるから、この点についての申立人の主張は、全くの独自の見解というのほかはない。
三、執行の停止の緊急の必要性はない。
申立人は、各学年の授業は段階を追つて進行し、学年途中で授業を受け始めたとしても理解が困難であるから、その損害を避けるため、本件退学処分の効力を停止すべき必要がある旨主張される。
(一)、しかしながら、本件退学処分は、申立人をして本件高校における生徒としての地位を失わせるにすぎないものであり、逆にこれが停止されて申立人が再び登校してくる場合、その態度が俄に改められるものでないことは容易に推測されるところであり、再び、従来同様の指導、反抗の繰り返しに終始するため、再び、他の生徒に対する授業への支障をきたす結果を招来することは、もはや、言及するまでもないところである。
そして、更には、従来にもまして自分らの行動は正しかつたのだという認識のもとに、その行動が一層激化し、学校内の環境保持を紊し、学校の正常な運営を阻害し、学園の荒廃化を招く事態が発生することは必然ともいうことができよう。
他方、若年、かつ、専門的法律的素養の乏しい高校生には、処分の執行停止と処分の取消との法律的区別について理解が極めて困難であることの当然の結果として、たとえそれが処分の執行停止による暫定措置としての登校であるとしても、その区別はまず不可能であり、被申立人のなした処分が誤りであると錯覚し、混乱するのは、蓋し、当然のことであり、このため生徒が正当な理由がないのに出席が常でない者であつても、はたまた、どんな校則違反行為、違法行為を行なつた者であつても、学校は、何等指導監督懲戒はできないものであるという観念を持つにいたることは見易い道理ともいうべきことであつて、その結果として、全校生徒に対する学校の指導は、全く不可能となり、本件高校における学校教育は、全く、破綻の底に置かれるに至ること、これまた、極めて明らかなことである。
かかる、学校全体に及ぼす非教育的な悪影響は、被申立人としては、絶対に看過することのできないところである。
しかも、学校においては、各教員が授業の他に、生徒指導、学校行事、教務、庶務、進路指導等の校務を分担しているものであるが、万一、申立人が登校することとなつた場合、更に、従来繰り返してきたような、その指導対策に再び多数の教員があたらざるを得なくなり、申立人に対する指導は、もともと万策尽きたうえで、本件退学処分を行なつたものであるのにかかわらず、今後惹起される混乱の事態を収拾すること、および、一般生徒に対する指導は、全く不可能となり正常な学校運営に重大な支障を招来する結果ともなるばかりか、教育の専門家である教員が学校教育の立場から、生徒に下した適切な判断に水を差すことともなり、多数の教員に対する意欲、情熱を失なわせ、ひいては、他の生徒を対象とする教育活動にも重大な支障を生じる結果とならざるをえないのである。
(二)、そして、一方、万一、本件退学処分がその本案である取消訴訟において取消され、申立人が学年中途において復学する事態となつたとしても、これに対する救済の措置としては、本件高校教務内規は、補填制度を設け、怠惰による出席時数不足単位不合格者に対しては、補講を行なわないのを原則としているが、特別の場合にはこれを行なうこととしており、本件のような場合は、まさに、右特別の場合にあたるのであるから、申立人に対し補講を実施することによつて充分に中途復学の不利益は解消されるべきこととされているのであつて、申立人主張のような損害の生ずるおそれは存在しない。
(三)、されば、本件退学処分については、その効力の停止を求むべき何らの緊急の必要性も存在しないものといわざるをえない。
第四、結語
以上のとおり、申立人に対する本件退学処分には、いずれの面からみても違法はなく、従つて本件申立は行政事件訴訟法第二五条第三項後段の「本案について理由がないとみえるとき」に該当するとともに、同条第二項の「回復の困難な損害を避けるための緊張の必要」もなく、却つて同条第三項前段の本件高校における学校教育の適正な運営という「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」に該当するものといわざるをえず、極めて失当たるの誹を免れないものというべきである。
されば、本件申立はすみやかに却下されるべきものと確信する次第である。
別紙(四)
準備書面
一、狭山事件裁判の討論会・映画会開催に関する無許可のビラの配布について
申立人は「岡崎功・山田功は狭山事件裁判の討論会・映画会の開催ビラを伊野町・朝倉の街頭においてのみ貼付したもので、学校に抗議のあつた高知市内におけるビラの貼付は、右両名以外の者が貼付したものであつて、右両名の責任ではない。」旨主張する。
しかしながら、申立人らは被申立人の再三にわたる指導にも拘らず、許可をえないで貼付したことは、次の理由によつて、生徒としての本分に悖るものである。
すなわち、狭山事件裁判に関する討論会、および、映画会は、本件高校の教育課程の一環である特別教育活動として行なつたものであるため、被申立人の指導のもとに行なわなくてはならないものであつた。
ところで、被申立人は、昭和四七年一月二〇日の職員会議にも諮り、本件高校における同和教育の一環として、本件高校生徒のみを対象とすることを条件として開催することを決定した。
しかるに、申立人らは、右討論会、および、映画会の開催について、被申立人が許可する以前である昭和四七年一月一九日既に、恣に一方的に開催することを決定し、街頭においてビラを配布し、貼付したもので、しかも右配布・貼付したビラは、一般の参加を呼びかけるものであり、これがため、本校生徒以外の者も右討論会、および、映画会に参加するに至らせたものであつた。
されば、本件高校における特別教育活動であつた右討論会、および、映画会の開催はあくまで被申立人の指導のもとに行なわれるべき性格のものであり、ましてやその開催について許可もなく街頭においてビラを配布し貼付するなどは、到底許されざるところであり、これをその指導的立場にあつた申立人らにおいて敢えてこれを黙過したことは、右特別教育活動における生徒としての本分にもとるもの以外の何物でもないといわざるをえない。
二、西倉庫の施錠およびスイツチについて
申立人は、また、西倉庫入口には施錠されてなく、かつ、スイツチは以前から壊されていた旨主張するが、そもそも本件高校校舎を建築した当初から、物品の保管のため、西倉庫の入口のドアにはめ込みの錠前が取付けてあり、かつ、雨天等の場合に教室の照明度が不足するため、予め、各教室に電燈設備を行ない、雨天等の場合は点燈することとしていたものである。
ところが、その錠前が壊され、被申立人の知らない間にダイヤル式の錠前が施錠されていたものであり、かつ、スイツチについては、スイツチボツクスの蓋を勝手に剥がし、中から裸線を取り出し、スイツチの代用としていたものである。
なお、西倉庫の使用許可に際し、教頭申立外森岡保夫が部落問題研究会に所属する申立外伊東晴男に対し、倉庫全部の使用を許可した事実は全くないものである。
三、申立人の成績について
申立人のホーム主任であつた申立外原田道治教諭は、「山田君および岡崎君はクラスではトツプレベルにある」旨陳述されるので、申立人の成績の実態について次のとおり明らかにする。
(一)、申立人の教科別担任の実態について
高等学校においては、小学校のようにクラス主任が全教科に対する授業を担当するものではなく、各教科毎にそれぞれの教員が授業を担当しているものである。
申立人が本件高校に在学していた第二学年における教科別担任教員の実態は、次表のとおりで、申立外原田道治教諭は、一教科(英語B)のみを担当していたものであり、一三名にものぼる多数の教員が申立人に対する授業を担当し、それぞれ教科毎に成績評価を行なつたものである。
科目
担任教員名
学年評定
現代国語
北村
1
倫理・社会
西
2
世界史A
岩井
1
数学IIA
高橋
1
物理A
中平
1
体育
川渕
1
保健
今井
1
英語B
原田
1
商事
近森
1
商品
岩崎
1
会計
石川
1
計算実務
包国
1
文書実務
包国
1
美術I
三木
2
音楽I
教科数
実人員
一四教科
一三名
(二)、申立に係る成績評価の実体について
申立人が本校に在学していた第二学年における多数の数員が評価した成績の実態は、評定平均値による成績一覧表のとおりであり、申立人が在籍していたクラス中、および、申立人と同一の学年中における申立人の学業成績は最下位クラスであることが明らかで、申立人の学力が如何に劣等であるかは何人も首肯するところであろう。
なお、申立外原田道治教諭が担当していた教科の英語についても、出席時数に満ちているものの同教諭自らが申立人に対し、不合格の評価をしている事実に照らしても、同教諭の陳述はまことに理解に苦しむところである。
四、申立人の能力および勉学の意志について
(一)、申立外原田道治教諭は、また、申立人には充分やれる能力があり、しかもやる気を出している旨陳述されるが、すでに前項で申立人の学業成績の結果の実態について述べたとおり、極めて申立人の学業成績は不良であり、かつ、申立人は、登校していても、授業時間中といえども西倉庫の部室に残留し、ほしいままに授業に出席せず、欠席日数、欠課時間数も他の生徒に比し、極端に多く、このように、教員の指導のすべてを無視し、かつ、反省の色すら窺えない累積的行為によつて明らかなように、申立人には、充分能力があり、勉学の意欲もあるなどと到底いいうべくもないところである。
(二)、留年決意による欠席、欠課について
申立人は、留年を決意し、勉強をせず、学校に登校したが、授業に出なかつたので欠席、欠課が多いが、昭和四七年度からは一生懸命勉強をする積りであつた旨陳述されるが、そもそも高等学校における教育は、社会の有為な形成者として必要な資質を養い、社会において果さなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的に技能を習熟させ、社会について広い理解と健全な批判力を養うことを目標として、生徒達が望ましい成長発達を遂げるため、学校において、教科や特別教育活動、学校行事等を具体的に計画しているところである。
そして、それは各生徒がその目的意思に基づいて入学してくるものである以上は、これら学校の教育計画に副う履修を行ない、所定の教育課程を修得するのは当然のことであり、また、これにより初めて高等学校教育を終えるものである。
しかるに、申立人は留年を決意する以前からすでに多数の職員の指導にも拘らず、ほしいままに、正当な理由なくして欠席、欠課を累行したものであり、申立人の高等学校教育をうけるため入学した経緯に鑑みれば、高等学校における教育目標に副つた勉学に努めるべきであることは当然であつて、一方的に留年を決意したからといつて、他方において、生徒の本文にもとる行為は許されないものである。
(三)、申立外原田道治教諭が、申立外岡崎功は「二学期末になる頃、三学期からはきちんと出席し、勉強すると約束し、そして事実そのとおりやつてくれたので、私は喜んでいた。」旨陳述されるが、申立外岡崎功の三学期間中における遅刻度数は二三回、欠課時数は三七時数である等依然として引き続き勉強の意欲はなかつたものといわざるをえないものである。
殊に、申立人が留年の決意をした後であることの明らかな一月一四日以降の行動を比照した場合、その感はより一層明白な事実となつて現われているものといわざるをえない。
されば、日常申立人の行為をつぶさに観察し、かつ、生徒に対する学校教育に多年の経験を有する本件高校の大多数の教員、および、被申立人が、申立人に対し、学業成績が不良で成業の見込みがないと判断したことについて、如何なる根拠に基づいて「充分やれる能力があり、しかもやる気を出している」等ということができようか。申立外原田教諭のこの言たるや事実に目を覆い、正当な判断を欠いたことの何よりの証左というの他はない。
しかも、申立人よりも学業成績の良好な者が成績の見込みが立たず、自発的に退学している事例が数多く存する事実、ならびに、申立外原田教諭自身もその陳述書の中において、「申立人は勉学の意欲を失い、私の忠告もきいてくれなかつた。」旨述べている事実に照らしても、申立外原田教諭の陳述が失当であることは一層明白というべきであろう。
五、本件処分について
申立人の母親若しくは父親は、本件処分について「私は、昭和四七年三月(申立人については六日、申立外岡崎功については四日)学校から呼ばれ、部落解放研究会のことで、ビラの配布、ステツカーの貼付をしないこと、ならびに、出席日数、成績等のことについての注意があり、懲戒の話など一言もいわなかつたのに、三月二五日、校長から突然退学処分を言い渡され納得がいかない。」旨陳述されるが、そもそも生徒に対する教育は、被申立人、および、家庭(父兄)側との双方の指導教育に俟つものであり、被申立人としては、申立人が生徒としての本分に悖る行為、ならびに、正当な理由がないのに欠席、欠課が多いため、その都度、注意指導をたえず行なつてきたところであり、かつ、申立人の母親は昭和四七年三月六日来校の際「こんなことを今後も続けるならば自分から退学させます。」旨言明していたところを併せ考えた場合、被申立人に対して退学処分を行なつたというようなものではなく、申立人が被申立人の累次に渡る指導に従わないので、今後の指導方針について大多数の教員は万策尽き果てたとの結論に到達した結果、被申立人も申立人に対する指導は、学校教育における指導の限界を越えており、もはや教育的改善の余地が認められず、このまま放置すればかえつて他の生徒に与える影響が大であるため、退学処分も真に止むをえないものであると判断したものである。
被申立人は、生徒の保護者に対し、毎学期通知票を交付しているので、保護者は申立人の学業成績が不良であること、および、欠席、欠課時数が極めて多いことは十分承知していた筈であり、これについては何らの問合せもなかつた本件において、被申立人としては、家庭(父兄)側から本件処分に対し、非難の誹をうける筋合いはないものであると思料する。